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みんな幸せになっちゃえばいいと思うんだよね

婚約指輪・結婚指輪をどうやって選べばいいのか悩んだので日本のブランドを調べてみることにしたよ

もぐみかです。本日も連投しております婚約指輪・結婚指輪シリーズです。

ダイヤモンドをカットすることに情熱を注いだ「3大カッターブランド」や、スイスにはやはり時計ブランド→ジュエリーを扱うようになったブランドが多い、など、海外のブランドがどういった経緯で歴史を紡ぎ始めたのかは、前回の記事で少しお伝えできたかなと思います。やはり歴史は語るなぁと。

調べていて気になったのは、日本のブランドの歴史の浅さ。そもそも貴金属(=金)は価値観としてあったのでしょうけれど、ダイヤモンドって日本で採れるものではないでしょうし、当たり前といえば当たり前なのかもしれません。一方で、世界で名前を知られるブランドもあるのですよね。ということで、本日は日本のブランド編です。

▼日本大好き。和装で結婚式したい。

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日本のジュエリーブランドのストーリー

日本のジュエリーは時代ごとに見ていくとこんな感じ。始まりと、トピックスがあれば現在の情報を綴っています。 また、ロゴをクリックで公式にジャンプ!

1800s

1892 GINZA TANAKA

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商店の貴金属の取り扱いから始まったブランド。

現在は、貴金属の買取や記念メダルの発行等も引き続き行いながらも、専門店を開店させる等、ブライダルにも力を入れている模様。

GINZA TANAKAの歴史は、明治25年、「清水商店」の名のもとで貴金属装身具卸として東京・浅草に開業したことから始まります。創業者の山崎亀吉は、K18やK24といった品位を示す諸規定を日本で初めて立案し、貴金属界の雄として一時代を築いた人物です。 国産初の懐中時計を製造・販売、東京オリンピックや大阪万国博覧会などの記念メダルを一手に引き受けるなど、日本の貴金属業界を常にリードして きました。平成2年には、店舗名を田中貴金属ジュエリーに変更し、さらに平成14年にはGINZA TANAKAとしてリニューアルオープン。「確かな品質のジュエリーに出会える店」として、日本全国のお客様から愛されています。

会社案内 > 歴史 | GINZA TANAKA

 

1899 MIKIMOTO

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真珠の養殖から始まったブランド。

パールが日本の特産品として世界に知られるようになったのは、ひとえにMIKIMOTOの活躍があったからだと思います。 そのクオリティに世界中からの信頼が厚い。世界のハイジュエリーブランドと名実ともに肩を並べられるのは、MITKIMOTOとTASAKIくらいです。

世界で初めて真珠の養殖に成功

モト創業者の御木本幸吉は1858年(安政5年)1月25日、志摩国鳥羽町に誕生しました。故郷・伊勢志摩の海で天然真珠を採るために乱獲され減少していたアコヤ貝の保護と増殖、さらに真珠の養殖を決意し、相次ぐ赤潮の被害や資金難を乗り越え、1893年(明治26年)7月11日に鳥羽の相島(おじま、現:ミキモト真珠島)にて、世界で初めて半円真珠の養殖に成功しました。

ミキモトの歴史|ミキモトについて|MIKIMOTO - ミキモト

 

1900s

1932 和光 

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時計の取り扱い→ジュエリーの取り扱い→オリジナル商品の取り扱い

伝統ある専門店が軒を連ねる大人の街、銀座。その中心である銀座4丁目の交差点に、和光はあります。ランドマークとしてもおなじみの時計塔のある建物は、昭和7(1932)年に建てられ、この街の発展を見守ってきました。当初は、明治14(1881)年に創業した服部時計店の小売部門としてスタートし、進駐軍による建物の接収の時期を挟み、昭和27(1952)年より「和光」として本格的に営業を開始いたしました。以来、質の高いサービスと品揃えで、お客様にご満足いただけるよう努めております。

会社概要 | 銀座・和光 

宝飾品のお取扱いをはじめた明治時代より培った審美眼で上質な石を探し、そのかたちや特徴を十分吟味して個性を引き出すデザインを生み出し、ジュエリーとして出来上がるまでを一貫して手がける至高のコレクションです。ご用意しているお品以外にも、ご要望を伺い、世界にふたつとないお客様だけの特別な一点もお作りいたします。

ハイジュエリー | 銀座・和光

 

1946 STAR JEWELRY 

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外国人向けの宝飾店から始まりました。

特色はやはり多彩さ・身近さでしょうか。ジュエリーでトレンドを作るような日本のブランドはこちらとヴァンドームくらいかもしれません。

1946年に創業者、永井三郎・妙子夫妻が戦後の石油貿易で得た英語の知識を生かし、外国人向けの宝飾店を開いたのがスタージュエリーのはじまり。
貴金属店が軒を連ねた当時の元町で、2階の工房に熟練の職人を抱えていたことから、「外国人顧客の難しいオーダーに応える店」と評判に。

本格的なピアスの品揃えは外国人客に人気が高く、当時『STARS AND STRIPES』誌に「日本にも本国と同様、ピアスの選べる店があり、アメリカ人で賑わっている」と紹介されました。

STAR JEWELRY|ヒストリー:1946-1959

 

1954  TASAKI

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MIKIMOTOと同じく、真珠の養殖から始まったブランド。

日本で唯一ダイヤの「サイトホルダー」の資格を保有しています。また、日本で唯一、カッティングから納品までを全て日本で行っています。「マスターオブダイヤモンド」と呼ばれることも。

最近、タクーン・パニクガルをクリエイティブディレクターとし、モード感の高いコレクションを発表。また、世界最高峰のホテルのひとつリッツ パリに出店予定。コレクションも発表。躍進していますね。しかしブランドイメージがよくわからないのは私だけなのか。

美しいものに心奪われるのは、いつの時代も同じこと。自然界の神秘の結晶・真珠も、古くからジュエリーとして愛されてきました。日本において、その養殖研究が本格化するのは20世紀の初頭。戦後の自由貿易の中、輸出品として供給不足に陥った真珠産業を発展させるため、TASAKIの歴史ははじまります。独自の研究所を設け、昼夜の別なく真珠と向き合い続ける日々。そして1970年、TASAKIは世界で初めてマベ真珠の養殖に成功します。絶滅寸前にあった、この海の宝石は、日本の新しい美の象徴として驚きと称賛をもって世界に迎えられました。

TASAKI Global

 サイトホルダーとは、世界最大手のダイヤモンド原石供給元デビアスグループ から直接原石を取引できる資格のことで、厳しい審査基準が設けられています。鑑識眼や研磨技術はもちろん、マーケティング能力、流通のシステム、将来性やトレーサビリティにいたるまで厳しい基準をクリアしなければならず、世界でも82社未満、日本ではTASAKIが唯一の取得企業となっています。

TASAKI Global

 

1972 4℃

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繊維製品の販売→ジュエリー。割と株式会社的な方針のようで、公式にはブランドストーリーは特にありませんでした。

沿革 | 株式会社4℃ホールディングス

でも別のまとめサイトに載ってたので引用。

4℃の名前の由来は「真冬の湖の底の水温」が4℃で、魚や生き物が住むことができる冷たい温度にからきています。それは4℃のジュエリーを纏った時に、心地よいと感じるひんやりした温度でもあります。4℃はギフトブランドとして、身に着けた女性の魅力を引き出し、美しく輝くジュエリーを届けています。

婚約指輪の人気ブランドは? 海外5選&国内5選

 

1973 ヴァンドーム青山

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アクセサリー専門ブランド。ファッションとブライダルリングをつなぎ合わせた初めてのブランドです。

どのデザインも「身近さ」が特徴。豪華さとか美しさとかじゃなく、毎日つけられることを重視している印象です。指輪ってそれが本質かもしれませんね。

当時、百貨店の上階にある宝飾フロアで扱っていたブライダルリングを、伊勢丹新宿店1階アクセサリーフロアで展開。ファッション感覚を取り入れたデザインが多く支持を集め、現在ではアクセサリーフロアの多くのブランドが、ブライダルジュエリーを扱うようになりました。

VENDOME AOYAMA | ヴァンドーム青山 / ブランドストーリー

 

1979 俄

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彫金教室→ジュエリー販売。日本×ジュエリーを確立したブランド。日本ブームで最近また人気が急上昇中。海外でも人気があるようです。

千二百年の歴史を持つ京都で誕生し、洗練されたデザインと最上のクオリティで、評価の高まる「NIWAKA」。そのジュエリーには世界を魅了する日本の美意識が息づいています。

ブランド紹介|株式会社 俄 NIWAKA Corporation

 

1994 DIAMOND SHIRAISHI

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ブライダルジュエリー専門ブランド。「セミオーダー」を確立。 

1994年11月。日本経済が大きな変動期を迎えてほどない時代に、銀座ダイヤモンドシライシは誕生しました。それはまさに、「ブライダルリングの時代」の夜明け。私たちはパイオニアとして、新たな「文化」の数々を生み出してきました。人生の門出にふさわしい高品質のダイヤモンドのみを取り揃え、ひとりひとりの手指やライフスタイルにぴったりと馴染む完成度の高いオリジナルデザインを、自社工房にて多数創作。また業界初の「セミオーダー」を提案し、ブライダルリングの定番として広めたのも、銀座ダイヤモンドシライシが最初でした。

パイオニアとしての挑戦と誓い|婚約指輪・結婚指輪の銀座ダイヤモンドシライシ

 

1997 AHKAH

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女性宝石鑑定士が立ち上げたブランド。最近テレビや雑誌でモデルや女優さんがつけていらっしゃることが多いですね。

デザイナーさんと直接お話をしながらオリジナルデザインの商品を作ることも可能!

1997年に、日本で設立されたジュエリーブランド AHKAH は、福王寺朱美の繊細でありながらも芯を持つ豊かなパーソナリティが反映された世界です。AHKAH の原点は、永遠に向かいはかなく無垢な美しさを追い求め、描き続けること。自然の持つ伸びやかな緊張感を作品に反映させ、普遍的で豊かな美しさへオマージュを捧げることにより、<芸術品のように>創りあげられるジュエリー。そうして生まれた上質なクリエイションに<ファッション>の感性を融合させ、“日常生活の中で親しみやすく、着けやすいジュエリー” という新しい視点を築きました。AHKAH のジュエリーは、母から娘へ、娘から孫へと受け継がれ、世代を超え、国境を超え、そしていつか時代を超えてもなお、美しくかわいいものとして永遠に愛されていくという夢を叶えるために、<思い、想い、念い> を込め、ひとつひとつ創り出されています。

AKEMI FUKUOJI - 福王寺朱美

成城学園高校卒業後、シアトルユニバーシティを経て、ロサンゼルス米国宝石学会にて宝石鑑定士(G.I.A GG)取得。株式会社アーカーを設立、代表取締役社長に就任。

ABOUT AHKAH | ジュエリーブランドAHKAH(アーカー)公式ウェブサイト

 

1999 I-PRIMO

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ブライダルジュエリー専門ブランド。特にブランドストーリーは語られていませんでした。割と打ち出しもコロコロと変わる印象…。経営理念を見つけたので引用しておきます。

「最高(プリモ)の夢(おもい)を最高(プリモ)の幸(かたち)に」を経営理念として掲げ、ブライダルジュエリーの企画・販売を行って参りました。この経営理念の背景には、「結婚するお二人に、人生で最も幸せな瞬間の想いを、指輪という形に変えて永遠に持ち続けて頂きたい」という考えがあります。

社長メッセージ | 企業情報 | プリモ・ジャパン株式会社

 

2000s

2003 杢目金屋

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会社概要を見たら、事業内容:木目金を用いたジュエリーの企画・製造・販売、となっていました。すごい。ストイック。東京藝術大学で彫金を学ばれたデザイナーさんのブランドです。

「木目金」は、細部の工程の複雑さ、口頭伝承の曖昧さ、彫金と鍛金の両方の基礎技術があってこその習得は非常に困難なものです。効率と利益ばかりが優先される現代社会の中で、手間と時間をかけ手作りにこだわる杢目金屋のものづくりの姿勢は、今の時代に逆行しているかもしれません。しかし日本が世界に誇るこの素晴らしい金属工芸技術が時代に埋もれることなく、現代の生活の中できらきら輝く存在となるよう提案していくのが、私たちの使命であると考えています。私たちは「木目金」にこだわり続け、一生に一度の大切な結婚指輪というカタチでこれからもずっと伝統のものづくりをご提案していきます。

制作者の顔 | 杢目金屋

 

以上ですー!

調べていてちょっと興味深かったのは、海外のブランドは4Cの低いダイヤをブランド名で高く売りつけるなんてザラだけど、日本のブランドは「これ以上のものしか取り扱わない」ってはっきり打ち出していたりすることが多いのですよね。モノづくりに誇りを持っているブランドが多くて嬉しくなりました。

終わり!