中学校長の発言に考える、日本の教育制度への疑問
中学の校長が「女性は子供を2人以上産むことが最も大切」と発言した件を受けて、個人的には教育を考える機会になったので、アウトプットします。
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全校揃った最後の集会になります。
今から日本の将来にとって、とても大事な話をします。特に女子の人は、まず顔を上げて良く聴いてください。女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことです。これは仕事でキャリアを積むこと以上に価値があります。
なぜなら、こどもが生まれなくなると、日本の国がなくなってしまうからです。しかも、女性しか、こどもを産むことができません。男性には不可能なことです。
「女性が、こどもを二人以上産み、育て上げると、無料で国立大学の望む学部を能力に応じて入学し、卒業できる権利を与えたら良い」と言った人がいますが、私も賛成です。子育てのあと、大学で学び医師や弁護士、学校の先生、看護師などの専門職に就けば良いのです。子育ては、それ程価値のあることなのです。
もし、体の具合で、こどもに恵まれない人、結婚しない人も、親に恵まれないこどもを里親になって育てることはできます。
次に男子の人も特に良く聴いてください。子育ては、必ず夫婦で助け合いながらするものです。女性だけの仕事ではありません。
人として育ててもらった以上、何らかの形で子育てをすることが、親に対する恩返しです。
子育てをしたら、それで終わりではありません。その後、勉強をいつでも再開できるよう、中学生の間にしっかり勉強しておくことです。少子化を防ぐことは、日本の未来を左右します。
やっぱり結論は、「今しっかり勉強しなさい」ということになります。以上です。
発言内容について
女性にとって最も大切なことは、こどもを二人以上生むことなの?
今の所、出産は事実として女性にしかできないし、個人的には素晴らしい身体能力(機能?)だと思う。だからといってそれを実行するかどうかは個人の判断によるべきで、日本の存続が危ぶまれようが*1、強制されるべきではだろうし、それが理由で最も大切なこととして決めつけられるのも女性としては辛いよねぇ。強制しているわけではないって弁明しているみたいだけれど、最も大切って言い切っちゃうのは、強制しているようなもんじゃん。
たとえばオリンピックのために、運動大嫌いな人が長身だからってバレー選手になることを強制されるような国は嫌じゃん?「背が高い人しかできないんだから!」って?そんな風に成り立ってる国もあるのだろうけれど、私は嫌だなぁ。
これ、割と簡単に解決できる問題だと思うのですよね。たとえば、バレー選手になりたいと思えるような理由があればいいだけ。そうすれば運動嫌いでも苦手でも、なるでしょう?強制されなくたって。出産だって同じ。強制しなくたって、動機があればやるよね。出産の動機になり得るものがない世の中を作ったのは、むしろこの校長世代なのでは…?人を動かす方法として、正しさの強制しか知らないもしくはできない世代なのかなぁ。
発言者について
校長がそれを言うの?
そして、これは教育者としての立場を持ってして発するべき言葉だったのかなぁ?校長ってまぁまぁ影響力ある立場の人だよね。そういう人が「これこそ正義」みたいな意見の振りかざし方していいの?
この話を聞いて、「それが唯一正しい女性の姿!」って思っちゃった子もいると思うのよね。他の意見も聞いてみよう!なんて発想ができる年齢じゃない気がする。少なくとも私は難しかったなぁ。私の世界は家と学校だけだったし。
この仮定が正しかったとしたら、極論的ではあるけれど、多様性を認められない人が大量発生するのでは。それって今の世の中生き難くない?世の中にはたくさんの意見があるのに、それを認められなくて戦争が起こっているのでしょう?
校長って立場の人が、そこまで考えが至っていなさそうなこの「べき論」に、私はとても恐怖を感じる。
教師という職業について感じる恐怖
教師って、「やりたい」と思う人が担うシステムで良いのかなぁってよく思うのだけれど、この校長の発言を読んで、ますますそう思ってしまっています。
一側面でしかないのかもしれないけれど、教育って行為は「自分よりも未熟な者に対して影響を及ぼす」ってことでしょう?その対象が影響を受けるかどうか選択する力もないような子供の場合は、それって悪く言えば洗脳とも言えるのでは?
教育者を志す理由はたくさんあるのだろうけれど、それを積極的に行っていこうとする姿勢が私には不思議なのです。だって怖くない?もちろん自分だけがその対象に影響する立場ではないのだろうけれど、それでも自分の一挙一動がどれほどの影響を与えるのかを常に想像しながら生活しなきゃならないわけでしょう?その責任に対する恐怖を乗り越えてでも自分が教育を担うべきだって思える感覚が、到底想像できないのです…。その自信は一体どこから??むしろそんなこと考えていないからできることなのかなぁ。
そして、教師って特殊な仕事だなぁと思うのですけれど、一般的な仕事では必ず行う「定量での振り返り」が行われないでしょう?クラスの雰囲気って小学校・中学校ともに先生次第で全く異なるものになっていたと思うし、それが何十年も影響すると思うのだけれど、私が知らないだけじゃなければ、追跡調査ってされていないですよね。それってもう、教育システムの成長を停止しているってこととイコールなのでは?また、教師の責任を軽く見ているのでは。
教師の立場からすると、上記の校長のような人たちからの一方的で偏った評価でしか自分の仕事を省みることができないってことでしょう?かわいそうすぎないかね?
教育の目的ってなんなんだろう?
教育基本法によれば、教育の目的と方針はこのとおりだそうで。
第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第2条 (教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
これを本気で叶えようとするのならば、今の教師という職業の成り立ちや教育制度って、やっぱりいかがなものなのかと思ってしまうなぁ。教師って、これを念頭に置いて仕事してるのかね?そして、教科書はこれを叶えるためのツールとなっているのか?私たちは、教育の結果として、真理と正義を愛せているだろうか。自主的精神に充ちた国民であろうか。
もしそうでないのなら、私たちは未来に向けて何ができるのだろう。
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ナイスフォロー。その部分については私も同意です。
「子産めない女性は寄付を」「2人以上」校長の炎上発言について、フォローしときます - 天才ブログ
*1:「日本の存続のために」という思考自体が悪だとは、もちろん全く思っていない。一団体としてあり続けてくれれば嬉しいと思っているが、最優先事項ではないように思う